アメリカで麻しん(はしか)が近年流行ってるというニュースが流れた。米疾病対策センターでは直近の2年では増加と報告している。2000年にアメリカは麻しんの撲滅宣言をしたにもかかわらず。
流行の理由はフェイスブックのようなSNSを通じて発信される反ワクチン団体による主張がある。たとえば医学的に否定されている虚偽の情報の流布「自閉症と関連がある(←この主張の論文は捏造でした)」「政府の人体実験」など。
なぜ得られた情報が真偽なのか調べもせず、その主張を鵜呑みにし、行動してしまうのか?
『知ってるつもり無知の科学』は、人間がいかに「知っているという錯覚」に陥りやすく、ほとんどの人間がさまざまな分野と領域で無知であるかを指摘して、さらにその無知によって、たとえばアメリカの麻しん(はしか)の流行のような悲劇的な出来事を防ぐための手段を提示してくている本です。
「家にあるコーヒーメーカーを使ってコーヒーを煎れることができますか?」「家のトイレを流すことができます?」という質問にはおそらく誰もが「イエス」と答えることができます。では、「コーヒーメーカーでコーヒーを煎れる仕組み、またはトイレを流す仕組みを説明してください」という質問には「イエス」と答えることができる人が、どれほどいるでしょうか?後述の質問はコーヒーメーカーやトイレの研究や製造を担っている専門家でなければ、ほとんどの一般人は答えることができないでしょう。
著者は「仕組み」のすべてを記憶していなくても、「使い方」を記憶していることが、人間が複雑な社会で適応していけている理由のひとつであると言っています。その理由として、本書ではすべてを記憶してしまう病気(超記憶症候群)をとりあげ、その症状の大半の患者はうつ病などの精神疾患を患っているとのことです。すべての物の仕組みや出来事を記憶しているのは苦痛で耐え難いと言っています。
たとえトイレの「仕組み」を知らなくとも、普段の生活には影響をうけないし、仮に仕組みを教えてもらい、知ったつもりになっても、他に影響を与えることもない。ただし、他に影響を与えること(例えば反ワクチン)などが、コミュティー内で起こった場合が問題になると本書で示唆されています。
自分のいるコミュニティー全体が反ワクチン派のような根拠のない言い分を鵜呑みすることを信じてしまうと、悪貨は良貨を駆逐するごときの勢いで、その主張を正しいと思い込み(知っていると錯覚する)をし、その主張の根拠を探そうとしなくなる。さらにSNSの伝播力を借りて、さらに他のコミュニティーへ知っているという錯覚が蔓延していく。現にアメリカでは麻しん(はしか)が流行してしまっている。
この本では、ワクチンのような科学的なこと政治・経済などなんとなく耳にしたことのある事柄はイメージの刷り込みも加わり、脳内で判断が鈍ることも説明しています。 「放射線で殺菌しています」といった場合、嫌だなと頭をよぎって遠慮したくなるのだが、「紫外線で殺菌しています」となると、ホッとしてしまう。ここでの放射線の意味は、電離放射線という広義の意味であるので、その電離放射線のひとつである紫外線を指しているのに、「放射線」=「放射能」と脳内で自動で変換して、負のイメージをもってしまう。その他にも「抗生物質はウイルスにも効く」「天然のものだから安全」なども一度頭にに入ったイメージを払拭するにはなかなか難しいということです。
さいごに冒頭の麻しん(はしか)のニュースの話に戻ると、反ワクチン派の母の意向に背き、麻しんワクチンを接種したオハイオ州の高校生がいるようです。その子はどのようにワクチンを接種できたかというと、「米疾病対策センターやWHOなど信頼されている機関の情報集めて、自分で判断しました」(2019/3/17読売新聞)と語っています。加えて母親はフェイスブックからしか情報を得ていなかったようです。
家族、SNS内のクラスタ、住んでいる地域、宗教、会社、学校…のさまざまなコミュティー内で、信じられていることが、疑わしいと思い自分で調べなおし、理解をすすめることは勇気がいり、最悪の結果はそのコミュティーから離れないといけない状況を生む可能性もでてきます。では、どうしたらいいのか?その方法や提案も著者はこの本で語っているので、本書を読んでほしい。 「知っているつもり」「知っているという錯覚」は誰にでもある。それを踏まえて情報を鵜呑みせず精査するためには?という問いの答えが一昔前より複雑になっていることを感じさせる本でした。