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本、映画、ドラマをとりとめなく語るブログ

『疫病と世界史』と『国家はなぜ衰退するのか』を読んでポストコロナ渦の未来を想像してみた。(後編)

一方『国家はなぜ衰退するのか?』では、古今東西さまざまの国家の衰亡について説明し、ある共通点を教えてくれている本。

たとえば衰亡していった国の例として、いくつかの古代帝国やソ連、そして現在進行形ではソマリアなどがあげられている。

本書を読むと、ポストコロナウィルス渦の世界での私達の生活が変わらざるを得ないのであれば、国家もそれに応じて、その変化を柔軟にうけとめ、法、インフラ、労働条件、税制緩和などの整備がすすまないと、衰退しどこかの覇権国家の属国になってしまう可能性を秘めているという視座を与えてくれる。

この本では、国家が衰退する共通の理由を主に3つ示している。①収奪的な政治的体型②まとまった中央政権がなく地方や部族ごとで支配している。③新たなテクノロジーやイノヴェーションを忌避する、である。とくに③は今の時代ではかなりの致命的なものになりかねないのかもしれない。

テクノロジーやイノヴェーションを忌避した例として、ハプスブルク家が支配する地域の工場や鉄道の禁止、イングランドの靴下機械などをあげている。忌避した理由は、革命が起こるかもしないということ。その時代の一部の権力者は経済特権や政治権力が破壊されると恐れたから。つまり権力者にとって「都合が悪くなるかもしれない」理由でテクノロジーを忌避したと述べている。さらに産業革命時代にイギリスなどをはじめ、率先してテクノロジーを推奨し、それを吸引力に発展していった西欧と、国家自体がテクノロジーを推奨することに出遅れた東欧やオスマン帝国や中国の違いにも言及している。イギリスでもラッダイト運動という機械化された工場を破壊する運動が出たが、あくまで既存の労働者が忌避してたのであって、国家ではない。

もし国家の権力者が自分たちの権威をテクノロジーによって失楽させられると疑心暗鬼になってテクノロジーを忌避していくのなら、他国の競争力に負け、国民へインセンティブもあたえられず、ただ国家が衰退していく。

コロナウイルスの蔓延により、ある程度このウィルスと共存しないといけない未来が待っているとして、これまでのような生活に戻れないとしたら、いまあるテクノロジーを使い、イノヴェーションを促進させ、生活を変えていくしかない。そのために国家はテクノロジーの活用を受けいれ、それを推奨し促進する対策をとったほうがいい。

すでに他国では始まっているが、リモートワークやオンライン授業を推奨し、それに必要なネットインフラの増強促進と充実、配送業の繁忙を低減するため、配送方法を人ではなくドローンやロボットによる運搬を行うための迅速な整備、公的機関や銀行の手続きでサインや印鑑などの接触を回避するための眼球の虹彩を使った本人認証などと、専門家が試行錯誤すればもっとできるはず。

ただし、本書ではテクノロジーを導入して失敗した例もあげている。それは、国家や権力者が「この新しいテクノロジーを使うように」とおふれをだして、国家主導でやっていく例があるので、そういう場合は注意が必要だ。

国家はあくまで、民間からでてきた新しいテクノロジーを推奨し、それらの企業への競争力を促し、使いやすくするための法整備とそれを行うスピードを上げて、使う人たちへインセンティブを発生する仕組みなどを作る役割なのではないかと思う。

また、14世紀のペスト後の世界ではイングランドをはじめとした西欧と、東欧が正反対の社会体制に向いていったことを述べている。14世紀といえば封建社会であるが、ペストによる人口減少で、労働力が足りなくなって、税収悪化と過労によりイングランドでは労働者の要求が強まっていき、ゆくゆくは封建社会がゆらいでいくことになった。

一方東欧では抑圧された農奴がせっせと発展していく西欧に必要な食物と農作物を作って、輸出に使われ、収奪されていた。この状況のおかで1400年代から1600年代の間で西欧と東欧は別世界になったと述べている。理由のひとつをイングランドでおきたワット・タイラーの農民一揆(本人は殺害はされるが)をあげている。これを期に権力者が少しずつ農民達の要望を聞いていった。一方で、東欧では農奴開放の動きが起きず収奪政治のままであった。少しでも声をあげることの重要性も説いているのだ。

これを本書では下記のようにまとめている。

黒死病は決定的な岐路――社会における既存の経済的・政治的バランスを崩す大事件、あるいはさまざまな要因の重なり合い――の生々しい実例である。決定的な岐路は、国家の軌道を急旋回させる可能性のある両刃の剣だ。一方では、イングランドの場合のように、収奪的制度のサイクルを壊す道を開き、より包括的な制度の出現を可能とする。他方では、東欧における再版農奴制の場合のように、収奪的制度の出現を促すこともある。 歴史および決定的な岐路が、政治・経済制度の道筋をいかに形成するかを理解すれば、貧困と繁栄の相違の起源をめぐる、より完全な理論を手にできる。さらに、現代の情勢を説明できるうえ、包括的な政治・経済制度に移行する国もあれば、しない国もある理由を説明できるのだ。

歴史をみると際立った感染症が蔓延したあとは、何かしらの社会変容がもとめられてきた。今回のコロナウイルス渦が終わったあとにも、何かしらの社会変容が少なからずあるだろう。すでに、緊急事態宣言後の自粛生活がそのプロローグなのかもしれない。前編で記したようなディストピアな世界になったとしても、社会変容に対応できる柔軟性が、国家も個人も持って、お互いに寛容であれば、前に進んでいけるかもしれない。

引用元

『国家はなぜ衰退するのか』ジェイムズ A ロビンソン 、ダロン・アシモグル (早川書房