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本が読める幸せを感じる『戦場の秘密図書館〜シリアに残された希望〜』

土曜日の午後に仕事が半日で終わるときは、帰宅後に散歩しながら娘と近所にある区民センター内の図書室にむかうことがある。 私はネットで予約していた本を受け取りに、娘は学校の図書室にはない本を選びに。それが土曜の午後の楽しみのひとつでもある。

今の日本では本が簡単に手が届くことに恵まれすぎて、図書館の有り難みを感じている人はどれくらいいるのだろうか。私も読みたい本をネットで予約し、借りるまで20人待ちだと少し落ち込む。待てば借りられるのに。一昔前だとこんな便利なサービスが図書館には無かったのにテクノロジーが進化すると横柄になるものなのか?それとも私の心が狭いだけか?などと思ったりもする。 こんなちっぽけな感情の人間が住む世界の反対側には、本が読みたくても読めない人たちがいる。それでも、知識を得ようとしたり現実から少し離れて物語の世界にひたろうとしたり爆弾や銃弾からの恐怖と不安の感情を抱きながら図書館を運営している人達がいる。

イギリス人ジャーナリストが接続不安定なネット回線のなかスカイプやワッツアッブを通じて現地の住人とやりとりをし、戦場での図書館のことを紹介するのがこの本の内容だ。 読書が好きなひとにはオススメしたい本である。

場所はシリア内戦下のダラヤという街。アサド政権軍が街を包囲し、住宅やビルが攻撃を受け、瓦礫まみれの隠された地下に図書館が存在している。

司書長は14歳の少年アムジャド。狙撃兵からの攻撃をさけるため夜明けの時間をめがけて図書館にやってきて、本の貸し出しの管理をおこなっているのだ。

図書館の蔵書は約1万4千冊ほどで種類も豊富。図書館には毎日20人ほどやってくる。 多くの本がどこからやってくるのかというと、爆撃を受けた家から、図書館を運営している若者たちが持ち出してきたものだ。 なんだ火事場泥棒か!と思って読んでると、そうではない。本を持ちだした家の住人へ連絡をとり、相手の了解をとるようにし、図書館で本を使わせてもらうことにしているようだ。 要は、爆撃を受けた家の瓦礫から本を救出してきれいに保管しているのだ。

具体的にどのように本を救出するかというと、狙撃兵に見つかる可能性の低い深夜に行動する。たくさんの本が保管された家が爆撃されたという情報は事前に得ており、若者たち数人が反政府組織の自由シリア軍兵士たちをともなって、懐中電灯も使わず、暗闇のなか家に侵入していく。 なぜ、こんな危険を犯してまで本を救出したいのか? この本に登場し図書館に携わる若者はこう語る。

「ぼくたちは、図書館の重要性を信じているんです。それは自分たちの頭脳や知識のためだけじゃない。精神、心のためでもあるんです」

さらにべつの若者はこうも語る。

「本は雨のようなものじゃないかなって。雨はすべての者に分けへだてなくふりそそぎます。そして、雨の降りそそぐ土地に草木が育つように、本を読むことで人間の知恵は花開くんです」

戦時下でいつ死ぬかも分からない状況で暮らすのは極限の精神状態でもある。その状態を少しでも緩和するために、すり減った精神へ栄養を与える行為が読書であると言っていて、後者の若者は、すこしでもこの状態を打開するために知恵をつけための本のあり方をうたっている。

ということは、非常時だからこそ、図書館や読書が必要なのだとシリアの若者たちが言っているように聞こえてくる。

たしかにそうなのかもしれない。戦時下と比較するのもおこがましいけれど、過去に仕事でものすごくストレスと疲労でキャパオーバーを感じる時期があったときは、何かを繋ぎとめるために、時間があれば本を読んでいた。今思えばそれで身体が壊れずにすんだのかもしれない。 そうか、読書はこころの栄養だったのだ。 加えて、読書で得た知恵と知識で、状況を打開する。

シリアの若者たちは本の有用性を知っているからこそ、危険を犯してまで図書館を運営していると感じた。

そして、この図書館の結末は、是非この本を手にとって知ってほしい。状況は深刻になるが本を求める人達の意欲を感じることができる。 本がある有り難みは忘れてはいけないことに気づくかもしれない。 一部の漢字にルビがふられているので、小学生高学年くらいからは読めるため子供から大人まで読めるようになってる。

❝「栄養が必要なのは、体だけではない。頭や心にだって栄養が必要なんだ」❞本書より引用。

『戦場の秘密図書館〜シリアに残された希望〜』 マイク・トムソン(著)小国綾子(訳)文溪堂