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リバタリアンだらけの街は住みやすいのか?『リバタリアンが社会実験してみた町の話:自由至上主義者のユートピアは実現できたのか』

リバタリアンと言われても、日本ではピンとこない。そして、その思想を高らかにこの国で叫んでも、なびく人は少ないだろう。そんなことを言うと日本のリバタリアンからおしかりをうけそう。では、リバタリアンの定義をここでみてみよう。

リバタリアンとは何か

リバタリアンは、個人の自由と自己責任を最大限尊重し、政府の権限や規制を最小限にすることを主張する人たちのこと。

彼らは、個人の権利や自由が政府によって侵害されることを極端に懸念し、政府による経済や社会の干渉を極力排除することを求める。市場経済を重視し自由市場や自由貿易を支持する。政府は、法の支配、紛争解決、防衛、公共財の供給などの役割を果たすべきだと考えるが、個人の自由を制限することはできないと考える。

また、リバタリアンは、社会的・文化的な自由にも強い関心を持っている。彼らは、同性婚や麻薬合法化などの個人の選択に関わる問題においても、政府の介入を拒否する傾向がある。

雑にまとめてみると、税金は徴収するな、経済は自由市場でやる、政府は俺たちの自由を奪うなである。

では、日本に置き換えるてみると、税金の徴収やめて、社会保険料を給料から天引きするもやめるから、公的年金も支払わないし、医療費も市場経済任せて、生活保護も取り上げて、最低賃金の設定しないから、自分たちで自由にやってね、よろしく…。ということになる。

とうわけで、日本は良くも悪くも公共財の役割が大きく機能しているので、リバタリアニズムが流行らないかも。

本書の話に戻ると『リバタリアンが社会実験してみた町の話:自由至上主義者のユートピアは実現できたのか』は、アメリカのニューハンプシャー州にあるグラフトンという小さな町で、自由至上主義者(リバタリアン)たちが政府の公的サービスや税金などな介入を拒み暮らしているところを取材しまとめたものだ。

リバタリアンが集まった町とは

本書は2004年に始まった「フリー・ステート・プロジェクト」という運動について紹介している。この運動では、リバタリアンが一つの州に集まって住み、自分たちの理想的な社会を作ろうとした。その中で、グラフトンは最も積極的に参加した町だ。

しかし、政府や税金を減らすことで生じた問題や対立が山積していた。例えば、道路や学校や消防署などの公共サービスが悪化したり、住民間でのトラブルも増加した。また、おもに熊などの野生動物が増えて人間に危害を及ぼすようになったのだ。本書では数人の重要な住民への取材と、町のもうひとりの主役である熊を中心に進められていく。ここでは、税収を減らすとどうなったか?という部分について具体的に紹介する。

税収を減らし規制を緩めるとどうなった?

税金の徴収を忌避する住民が多いグラフトンでなにが起こったのかいうと、街灯を消し、鋪装のアスファルトはヒビわれ 橋が崩壊の危険にさらされた。町役場は荒廃し、給湯器はなおせない。天井から電線がぶら下がり、雨水がたまり、アリたちが柱をはっていた。住民たちは図書館を是認しないリバタリアンに気をつかい図書館に予算をあてないようにし、グラフトンは他の同じ規模の街より図書館が廃れてしまった。

さらに、野生動物たちの増加に対応できなくなり、その中でも熊の増加に悩ませることになった。

ニューハンプシャー州は年々熊を駆除し、頭数を減らすもそれ以上に熊が増殖している地域で、とりわけグラフトンでの増加が顕著だった。理由として熊は人間のゴミをあさり、人間の与えた餌に慣れてしまって、人間の周りに頻繁に出没するようになったからだ。さらに、リバタリアンが多く住むようになったために、州政府を忌避する住民は、熊の対応を州政府に依頼せず自分たちで行おうとするも、住民が熊に襲われる事件がおきてしまう。

熊に住民が襲われたニュースが取り上げられ、密猟者たちが熊狩りをしにグラフトンにやってきた。しかし密猟者を取り締まることもできず。熊は無惨に虐殺されてしまう事態に…。

一方、近隣のハノーバーという町でも熊が出没し街のゴミを荒らし始めた。しかし、役所のクマ出没の緊急メールに応じて、ゴミを出さないなどをし、役所と住民が一体となって対応することで、熊が再度現れてもゴミなどをあさらなくなった。ハノーバーはダートマス大学や大学病院がある。役所で働く職員、住民や大学生の質が、自由だけを高らかに謳うグラフトンとは違ったのだ。

おわりに

本書では、パンデミックにおいて、公共的な強制力の最も強いロックダウンのとき、このグラフトンという町はどうしていたのかも書かれており、思想と人命と科学的根拠では、人によってこうも優先度が違うのかと考えさせられる。さらに、現在のグラフトンの町についても書かれている。

自由と公共性、さらに人間と自然をテーマにした実証実験を行う町はどうなるのか?反面教師なのか?時代の先駆者なのか?興味深い一冊でオススメだ

マシュー・ホンゴルツ・ヘトリング(著)
上京 恵(翻訳)
原書房