はじめに
昭和、平成の時代、年末の定番ドラマといえば「忠臣蔵」であったように記憶している。
しかし、令和になってからはその姿をほとんど見かけなくなった。
制作側からすれば、年末のためだけに長時間ドラマを制作し、有名キャストを揃えて多くのコストをかけても、それに見合うリターンが見込めないという判断があるのかもしれない。
あるいは、単純に長編の時代劇自体が視聴者から敬遠されているのかもしれない。
そんなことを考えながら、本書『討ち入りたくない内蔵助』を手に取った。

本書の紹介に入る前に、大石内蔵助が活躍する「忠臣蔵」について、簡単におさらいしておこう。
年末ドラマの定番だった忠臣蔵
元禄14年(1701年)、浅野内匠頭が江戸城内で吉良上野介に刃傷に及び、即日切腹となる。
浅野家は断絶し、家臣である大石内蔵助ら赤穂浪士47名は約2年かけて計画を練り、元禄15年12月14日、雪の夜に吉良邸へ討ち入りを決行。吉良を討ち取り、仇討ちを果たした。
彼らはその後、切腹を命じられ、武士としての誉れを保ったまま最期を遂げた。
映像作品によっては、大石内蔵助が浅野家再興に奔走する姿や、復讐の意志を隠すために昼間から酒に溺れる姿が描かれることもある。
小説『討ち入りたくない内蔵助』
本書『討ち入りたくない内蔵助』は、そのタイトルのとおり、討ち入りをしたくない大石内蔵助が描かれている。堀部安兵衛や部下たちに舐められ、ふがいない様子の内蔵助。酒と女に溺れ、自暴自棄になり、討ち入りのことなど頭から吹き飛んでしまう。そんな人物として登場するのだ。
そもそも内蔵助の本来の役割は赤穂藩の筆頭家老であり、藩の財政や家中の統率など藩政の全般を担っていた。本書の中には、次のような描写もある。
かつて赤穂藩の筆頭家老だった頃、内蔵助は本当に仕事が嫌いだった。 彼のもとに次々と持ち込まれてくる厄介事はどれも灰色で、彼がそれに白黒つけると、白のほうも黒のほうも文句を言ってくるのだ。 そんなん知らんがな、と心の中でため息をつきつつ、それでも内蔵助は筆頭家老に生まれついた者として、嫌々ながらその白黒つける作業を黙々とこなしてきた。
これはフィクションではあるが、内蔵助の仕事ぶりとしては、あながち誇張とは言えないだろう。家老の家に生まれついた以上、藩主と家臣の間に立つ中間管理職的な役割を果たしていたはずだ。
その内蔵助に、主君・浅野内匠頭の刃傷事件という大事件が降りかかり、家は断絶となる。浅野家再興を目指して奔走するもそれは叶わず、討ち入りという道を選ぶこととなる。
その過程では、主君の仇を討ちたいと願う強硬派との折衝にも苦労していたに違いない。その様子も、本書では平易な言葉で描かれている。
まとめ
本書は史実に基づいたフィクションであるが、従来のドラマに登場するような凛々しい大石内蔵助とは違い、感情を爆発させ、酒に溺れ、女性に甘え、ダメな姿をさらけ出した後に、しっかりとリーダーシップを発揮するという姿が描かれる。
そんな内蔵助の方が、人間味があり、むしろ好きになれる。
令和の時代には、こんな大石内蔵助がいてもいい。ぜひ映像化してもらいたいものである。
太白蔵 盈太 著 『討ち入りたくない内蔵助』(文芸社文庫)