はじめに
世の中はコンテンツで溢れかえっている。動画、SNS、ポッドキャスト、映画、ドラマ、音楽、ゲーム……挙げればきりがない。そして、書物もまた、紙媒体から電子書籍まで無数に存在する。
これらアナログ・デジタル問わず、あらゆるコンテンツは私たちの貴重な可処分時間を奪い合っている。
「興味があるものが多すぎて、人生の時間が足りない!」そう感じている人も多いだろう。
そんなコンテンツ飽和時代において、どうすれば良質なものを効率的に吸収し、自分の血肉にできるのか。
そのヒントを探すべく、私は外山滋比古氏の著書**『乱読のセレンディピティ』**を手に取った。

『乱読のセレンディピティ』が説く「読み捨ての精神」
本書を読んで驚かされたのは、その読書に対するラフな姿勢である。「身銭を切って本を買い、スピード感を持って読み、どんどん読み捨てていく。
読書ノートなんて書かなくてもいいし、ピンとこないものは途中で読むのをやめて構わない」といった具合だ。
著者は本書の冒頭で、現代の本の多さと現代の読書術について言及している。
だいいち、どういう本が出ているか、読者は知ることができない。本が多すぎる。小さな書店には店主の思いつきの本がちょろちょろ並んでいるだけ。こんなところで、おもしろそうな本を見つけるのは木によって魚を求むるにに近いことになる。かといって大型書店へ行くと本の海である。羅針盤のない読者は途方にくれる。
結局、やみくもに手当たり次第、これはと思わないようなものを買ってくる。
そうして、軽い好奇心につられて読む。乱読である。本の少ない昔は考えにくいことだが、本があふれるいまの時代、もっともおもしろい読書法は乱読である。
人に寄贈した本ではこういう乱読がむずかしい。それで、私は、人に本を差し上げない。それに、書評もしない。これも自分を大切にしたいのである。
乱読はよろしい。読み捨てても決して本をバカにしてのことではない。かりそめの読書がしばしば大きなものを読みとる。
この時代、本はあまりにも多すぎるため、一冊一冊を後生大事に読んでいては、知識を溜め込むばかりでアウトプットできない、と外山氏は警鐘を鳴らしている。
以下にその引用文も取り上げる。
本の読み方も、これまでのような装飾的、宗教的、遊戯的なものを改める。
よりよく生きるため、新しいものを生み出す力をつけるために本を読む。有用な知識は学ぶが、見さかいがなくなるようなことを自戒する。
著者、作者に対する正当な敬意は当然ながら、とりこになったりすることは避ける。真似て似たようなことをするのは美しいことではないと考える。
むやみに愛読書をこしらえ当を得るのも弱い精神である。子どもにそういうことを要求するのはいけないかもしれないが、一人前の年齢に達したら、ただ本に追随することを恥じる必要がある。
「この引用は、外山氏だからこそ言えるのでは?」と、正直ツッコミたくなる部分もある。
しかし、本読みの若輩者からすれば、「本に対してそんな思いで読めるのか」と驚くと同時に、大きく勇気づけられる文章である。
これほど書物が溢れている時代に、自分にとっての良書に巡り合う機会は、確率的に非常に低いだろう。
だからこそ、前述の引用にあるような読み方、つまり乱読こそが、自分を形成し、新たなものを創造していく上で都合が良いのかもしれない。
本書が2016年に発行され、外山氏が2020年に亡くなっていることを踏まえると、2025年の今、本書への理解がますます深まるばかりだと感じるのはわたしだけだろうか?
「アルファ読み」と「ベータ読み」:新たな発見を呼ぶ読書術
本書では、乱読をするにあたり、具体的にどのような読み方が良いのか、そのヒントが紹介されている。それが、「アルファ読み」と「ベータ読み」である。
* アルファ読み: 内容について読む側があらかじめ知識を持っているときの読み方。つまり、書かれていることが理解できる場合の読書を指す。
* ベータ読み: 内容や意味がわからない文章を読む読み方。
外山氏が強調するのは、この「ベータ読み」ができることの重要性である。
「ベータ読み」ができる人間は、専門分野に閉じこもらず、総合的な知識を備えた人間へと成長する可能性があると説いているのだ。
特に、小説ばかりを読んでいると「アルファ読み」しかできず、「ベータ読み」の能力が働きにくい傾向があるという。
そこで、乱読が「ベータ読み」へとつながるのだ。過去に触れてこなかったジャンルに積極的に手を出し、どんどん読み捨てていく。
そうすることで、人間は不思議なもので、様々な経験や幅広いジャンルからの情報が組み合わさり、思いがけないことを発見する能力、すなわちセレンディピティが発動するのだそうだ。
乱読がフィルターバブルを打ち破る?
少し話はそれるが、この「アルファ読み」と「ベータ読み」の考え方は、現代のインターネット社会にも通じるものがあると感じた。
ネット上やSNS上では、私たちは興味のある記事しか見なくなりがちである。これにより、同じ意見や思想を持つ人間としか交流しなくなる「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」といった現象に陥りやすい傾向がある。
いくら知識があっても、それが偏っていたり、現実での知識の使用量が少ないと、自分として正しい判断ができず、エコーチェンバーに飲み込まれ、フィルターバブルの中に閉じこもって、おかしな自分を作り上げてしまう危険性があるのではないだろうか。
私自身も「アルファ読み」ばかりしてきたため、そうした経験はないが、これからは意識的に「ベータ読み」を試していこうと思っている。
あなたも、この書物飽和時代を生き抜くために、**『乱読のセレンディピティ』**から新たな読書術を学んでみてはどうだろうか。
『乱読のセレンディピティ』(扶桑社文庫)著 外山滋比古