最近、価値観の違いが深刻な問題となっているニュースをよく目にする。
その一つが「闇土葬」だ。宗教上の理由でどうしても土葬が必要な人々が、日本の霊園に無断で侵入し、勝手に遺体を埋めてしまうというものである。

1. 「郷に従えない」理由の根源
日本では「郷に入れば郷に従え」という考え方が一般的だが、移民としてやってくる人々の中には、その土地のルールよりも宗教上の教えを優先する人たちがいる。
日本人からすれば「自国に帰って埋葬すればいいのでは?」と呆れるような話だが、彼らにとっては、死者を弔うための宗教的信念が何よりも重いのだろう。
これは教養や民度の問題なのだろうか。それとも文化や寛容さの違いなのだろうか。
お互いの文化を完全に認めるのは難しいが、まずは「差異が存在すること」を知る必要がある。
その上で移民を認めるかどうかを判断すべきではないか。そんな問いへの助けとなるのが、文化人類学という学問だ。
2. 「呪術と科学」という視点
文化人類学の面白さを伝えるため、最近新シーズンが始まった『呪術廻戦』にもちなんで、本書の第7章「呪術と科学」の内容を紹介したい。
まず、以下の文章を読んでみてほしい。
明日は大事な入試の日。
インフルエンザが流行っているからと日々マスクを着用し、手洗いを欠かさず、十分な睡眠をとって万全の態勢で準備をしてきた。
ところがなんと当日の朝、どこかだるいなと思って体温を測ると、39・5度!
あきらめきれずに起きようとしても身体が動きません。「あ〜、終わった……」と絶望感に襲われる……。
〜中略〜
もしあなたの友人がそういうことを言い出したら、あなたは何と声をかけるでしょうか。
① それは運が悪かっただけだよ。
② 健康管理の努力をおこたったね。
③ 神のご加護がなかったのだよ。
④ 君を妬んで妖術をかけた人がいるんだよ。
著者は、現代の日本では④はまず選ばれないが、世界には④が現実味を帯びる社会もあると述べている。
実際、ある部族では偶然の不幸を「妖術」として処理する。
3. 偶然をどう理解するか
興味深いのは、これらの声かけには共通点があるということだ。
①は「運」、②は「努力」、③は「神」、④は「妖術(呪術)」。これらはすべて、自分ではどうにもできない「偶然の出来事」を、何をもって納得させるかという手段である。
現代の科学的な思考が浸透した世の中でも、①〜③は自然に聞こえるが、④だけはあり得ないと思ってしまう。しかし、実は①〜④のどれもが科学で証明できることではない。
著者はこう述べている。
これは日常生活のすべてが『自然の因果関係』では理解できず、どこかに偶然性が入り込み、それを何とか理解したいという人間の潜在的な欲望があるからです。
科学は「どうやってウイルスに感染したか」というメカニズムは説明できるが、「なぜ、よりによって今日、私が」という不運の意味までは説明してくれない。
日本人が「運が悪かった」と片付けるのも、遠く離れた部族が「呪術のせいだ」と考えるのも、偶然性に因果関係を求めて納得しようとする点では、実はよく似ているのだ。
4. 決断のための助けとして
「闇土葬」の話に戻ると、死者を弔うという人間の本質は共通している。
しかし、その文化や宗教、法律の違いを踏まえた深い議論が必要だ。
政治家が「多様性」という言葉だけで安易に肯定したり、あるいは感情的に否定したりするのではなく、考え抜いた末に結論を出してほしいと思う。
文化人類学という視点は、そうした難しい決断を下す際の、大きな助けになるはずだ。
『自分のあたりまえを切り崩す文化人類学入門』 箕曲在弘 (大和書房)
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