一蹴 本とか映画とかドラマとか

本、映画、ドラマをとりとめなく語るブログ

人が物語に騙されないために読む本『ストーリーが世界を滅ぼす』

2022年の夏ヨーロッパを熱波が襲った。その熱波の数日前、イギリスのモーニングショーの天気予報のコーナーで気象予報士が40度以上の熱波で多くの人が死亡する可能性があると警笛をならした。しかし、司会の女性は取り合わず「この天気を楽しんでいたいだけなの」「気象予報士が運命論や死の前兆を伝える存在になるなんて」と一蹴した。その後、ご存じのとおりヨーロッパでは熱波で大勢の方が亡くなったのは記憶に新しい。(下記:引用元)
「もう耐えられん…」熱波で信号やロウソクが変形。大規模火災まで発生
まるで終末映画のワンシーン。「暑さで死者が出る」と伝える気象予報士に、司会者の反応は…
なぜ、女性司会者はこのようなことを言ってしまったのか?
『ストーリーが世界を滅ぼす』を読めばその理由のヒントが書かれている。

ストーリーテーリングの力

人間は進化の過程でストーリーを語る力で人々を動かしてきた。本書から引用すると

心は物語に適するように進化した。だから物語によって形成されうる。宗教や道徳の規範から狩りや結婚に関する具体的なアドバイスまで、あらゆる情報を保存し伝承する手段として物語は生まれた

人類が進化する過程で、文字がなく何かを伝えるための道具が必要だった頃は言葉で物事を伝えないといけない。それも効率よく心にとどめるために情報を伝えて説得し実行させるには、主人公が存在する物語として伝えたほうが効率がよかった。そのためにストーリーテーリングが必要だった、というところから本書がはじまる。

人類において過去から現在まで、至るところにストーリーテーリングの力が及んできた。部族の習わし、他国との戦争におけるプロパガンダ、キリスト教の発展、地球平面説など多数。さらにはNetflixや小説などの物語のほかに、事実を伝えるニュースでさえ、人間は物語を求めてしまう。

冒頭の話に戻すと、モーニングショーの司会者は、物語性がない熱波で人々が亡くなってしまうことへの本能的な拒否反応かもしれない。(そこに物語性が入り込めば、このままでは危険だと警笛することができたかもしれないが)補足すると、ここでいう物語性というのは主人公がいて窮地に陥りそこから克服し、ハッピーエンドを迎えるというような単純な物語のこと。それは来週熱波で大勢死ぬと予告されることと対極に位置していることになる。

物語の危険性

本書では哲学者プラトンが生きていた時代から物語は危険であったということを指摘し、その著書『国家』で、物語が人間の行動に影響を与えコントロールする手段という内容を記していたことを紹介してる。それが現代ではデジタルデバイスによってプラトンの時代より簡単に物語を手に取れることを危惧する。そう今の時代はどこでも「物語」が手に入ってしまう。
現実は物語性のないことがほとんどなのに、なぜか人間は面白い話に惹かれてしまう。モーニングショーの司会者のように物語を求めてしまっては、熱波に対する備えを呼びかけることもてぎない。人が物語に惹かれて、求め続けていく結果、人類は理性的な判断ができなくなってしまわないだろうか?
物語に惹かれすぎて理性的な判断ができなくなる前に『ストーリーが世界を滅ぼす』を手に取ってみると良いかもしれない。

『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』
ジョナサン•ゴットシャル 著 月谷真紀 訳
東洋経済新報社