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哲学的なテーマもあるしっかりあるSF『ミッキー7』

小説のネタバレを回避しながら感想を伝えるのは素人にとって難しい。日曜の朝刊の書籍紹介を読むと、その難しさを実感する。彼らはネタバレを避けつつ、読者に本を読ませたくなる文章を書いており、さらには我々をスマホを開いてAmazonのページに誘導させるのだ。

あらすじ

『ミッキー7』はネタバレになるほど驚くべきオチがあるSFではない。どこかで見たようなSFと思われるかもしれないし、テンポよく軽快に進む物語だ。現代風のSFだと感じながらも、あっという間に読了してしまう。

ここまで書くと、悪い印象を与えてしまったかもしれないが、万人受けするSFだと思う。映画化の話題になるのも納得だ。

ミッキー7のストーリーは、主人公であるミッキー・バーンズが使い捨て人間として描かれている。彼はクローン人間であり、ミッキー7というコードネームを持つ七番目の個体だ。物語では、ミッキーは氷の惑星でのコロニー建設ミッションに参加し、危険な任務を担当する。

興味深いのは、ミッキーが任務で死ぬたびに過去の記憶を引き継ぎ、新しい体で復活する設定だ。方法は思考データがデータサーバにアップロードされており、それを前回のミッキーの死後に作成された複製体にダウンロードするのだ。

物語の冒頭で、任務中にクルーの友人から見放され絶体絶命の状況に置かれながらも、ミッキーは無事に帰還する。しかし、クルーから報告を受けた上層部がミッキー7は死亡と判断され、復元されたもう一人の自分「ミッキー8」が存在していることを知る。主人公のミッキー7は7度目の複製体であり、過去に6度死んでいる。ミッキー8については8個目の個体なのだが、ミッキー7と同じ思考データを持つ同一個体の人物なのだ。

テーマは同一性への問い

このSFのテーマのひとつに同一性の問題がある。つまり、過去に死んだミッキー1と今の複製体であるミッキー7は果たして同じアイデンティティをもった同一の個体なのか?ということ。

物語では、テセウスの船のパラドックスを取り上げ、主人公も、過去の死んだ自分と今の自分が同じ人間であるかと自問自答する。さらに手違いで、ミッキー8が現れ同時期に思考データが同じミッキー7とミッキー8が存在し、別の行動をとることで、同一性がさらに危ぶまれ、存在意義や「個」がなんであるかが問われることになる。

ここで、ふと思いだすのが『攻殻機動隊』の主人公 草薙素子だ。彼女の場合、脳はそのままで、身体を入れ替えることができる。アニメでもそのような表現がされる。実はこちらの物語では同一性の問題は解決していると言える。それは『攻殻機動隊』では、自分を自分たらしめるものとしてゴースト(魂)という表現でこのテセウスのパラドックスを乗り越えている。自分のゴーストというものが存在している限り、その入れ物が何であっても、自分は自分として存在することができる。

では、『ミッキー7』の主人公に話を戻すと、過去と今の自分についてどう折り合いをつけるのか悩む。何度も複製体となっても、好きでいてくれる恋人や、自分を人とは思ってくれていない人々、気にはかけてくれているが、どこか信用ができない友人がいる。その中で、自分の存在を自問自答する物語を楽しみながら読んでほしい。

楽しみながらと書いたのは、エンターテイメント小説としても素晴らしいからだ。主人公はなぜ複製体を選んだのか、入植した惑星に存在する生命体との接触、ミッキー8との共存はできるのか、などのエンターテイメント要素もあり、前述したSF作品によくある哲学性と相性が良く共存している。 映画もロバート・パティンソン主演、ポン・ジュノ監督で予定されている。

『ミッキー7』著)エドワード・アシュトン 訳)大谷 真弓 〈早川書房〉