はじめに
本を再読する動機は、大きく分けて二つある。
一つは、自身の読解力の弱さゆえに、一度では理解が及ばず、再読が必要な場合である。
もう一つは、特に小説において、物語の終盤で「そういうことか!」と作者の構成力に一本取られたときである。この場合、読了後すぐに、飛ばし読みを交えながら再読してしまう。
この『贖罪』(イアン・マキューアン著)は、もちろん後者に該当する作品だ。

あらすじ
このような構成を持つ物語は、あらすじさえもネタバレになりかねないものだが、必ずしもそうではない。
2001年の発刊から20年以上が経過した名著であるという理由もあるが、あらすじを立て、ネタバレをしたところで、『贖罪』を深く読み込まなければ、この物語の理解には辿り着けないと感じるからだ。
あらすじを見てみよう。
1935年の夏。13歳の少女ブライオニー・タリスは、兄とその友人を迎えるため、自作の劇を準備していた。
しかしその日、彼女はある「誤解」をする。姉のセシーリアと、使用人の息子ロビーの間にある親密な関係を、ブライオニーはロビーによる不穏なものだと信じ込んでしまったのだ。
その夜、従姉のローラが暴行される事件が起こる。混乱の中、ブライオニーは「犯人はロビーだ」と証言してしまう。
その一言がロビーとセシーリアの人生を大きく狂わせ、二人は引き裂かれる。
時は流れ、第二次世界大戦へ。
刑務所を出たロビーは兵士として戦地へ向かい、セシーリアは看護師として彼を待ち続ける。
そしてブライオニーもまた、自らの罪を背負いながら看護師となり、あの日の過ちと向き合おうとする。
やがて彼女は、真犯人の存在と、自分が壊してしまった愛の重さを知ることになる。
罪を贖うために何ができるのか。赦しは本当に可能なのか。
贖罪というテーマ
物語をまとめると、主人公ブライオニーの誤解が姉のセシーリアとその恋人を引き裂く。
そのまま時代は戦争へと向かい、ブライオニーは自らの誤解による罪を償う。それがどのような方法なのか、というのが『贖罪』の核となる内容である。
この物語の終盤、晩年のブライオニーが語る「贖罪」には、胸が詰まる。
そして、読者にこの物語をもう一度最初から味わいたいと思わせるものだ。
予備知識なしに読み始めると、主人公ブライオニーの大人びた発言や、セシーリアとロビーに対する発言・態度に、読み手はイライラさせられるだろう。
従姉を襲った相手をロビーだと決めつける思考のまわりくどさに、読み飛ばしたくなるかもしれない。
しかし、再読時に読み返すと、ブライオニーのその思考や態度こそが、彼女の犯した罪の重さを裏付けるものとなり、晩年に彼女がとった贖罪の方法へと繋がると深く理解できる。
一度目に読んだブライオニーへの嫌悪感が、再読時には、彼女とともに贖罪を行っている感覚へと変わるという不思議な読書体験になるのだ。
読書は常に新しい発見
この本のテーマには愛や悲恋もあるかもしれないが、二度目を読むと、やはり「贖罪」が主軸であると痛感させられる。
『贖罪』は発刊当時に知っていたが、当時は興味がなかった。しかし、20年経って初めて読んでみると、読書とは最新の文学であろうと古典であろうと、新たな発見ができる体験の一つであると、歳を重ねても思う。
余談だけど…
二度目に全く違う体験や体感をするものとして、他に何があっただろうかと考えたとき、ゲーム『Undertale』の2周目が、この『贖罪』の再読に近い感覚があった。あくまで私個人の感想だが。
イアン・マキューアン『贖罪』はオールタイムベストの一冊なのは間違いなかった。
イアン・マキューアン
『贖罪』(新潮文庫)
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