『最終人類』は上下巻に分かれた長編SF小説。上巻は人類の主人公が種族の違う異星人の仲間たちと目的をもって宇宙に飛び出し、映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』さながらの雰囲気。下巻では急転直下の展開で、壮大で哲学的なテーマになる。『三体』の最終巻の発売までのつなぎでゆっくり読もうとしてたのに、面白くてイッキに読めてしまった。
物語のはじまり
多数の知的種族がネットワーク銀河に棲んでおり、その住人は身体のインプラントを使いネットワークに接続し、簡便なコミュニケーションを行っている。その銀河のとある恒星軌道上のステーションで暮らす主人公のサーヤは、ウィドウ属で元殺し屋の母親に養子として育てられていた。サーヤはインプラント手術を受けておらず、ネットワークに接続するには母から渡されたお粗末なネットワーク装具を使用していた。ある日仕事の面接に出かけようとすると母から高性能のネットワーク装具を渡され、世界が変わった感覚を受けながらその面接に向かう。サーヤがインプラント手術を受けられない理由は、彼女の種族がバレてしまうから。サーヤは絶滅したとされる人類の生き残りで、ウィドウ属の母がかくまい生活をしているのである。そこに高階層知性体のオブザーバー類がサーヤに接触してくる…。
とまあ、どんな冒険が始まるかワクワク感がある冒頭。その後、高性能パワードスーツが出てきたり、種族の違う異星人たちと宇宙船に乗り込んで人類の生き残りを探しに出発したりと、冒頭の感想のように『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』ぽいし、スペースオペラっぽくなってきたと思ってくると、下巻を読み進めると突然のちゃぶ台返し。更なる高階層知性体と遭遇して物語が急展開する。
銀河に存在する知的階級社会
この『最終人類』の銀河には知的精神階層が存在している。物語の幕間に軸のひとつである知的階層について注釈される。
コミュニティへようこそ! ネットワークとその仕組みの解説では″階層”という言葉かひんぱんにでてきます。将来の市民種族にとってこの概念を理解しておくことははとても重要です。そこで以下に簡単に説明しました。一階層上がると知性は十二倍になるのがおおまかな目安です。第二階層は第一階層より十二倍高い知性を持ちます。第三階層は第一の百四十四倍です。…(略)
主人公が遭遇するシーンで、(ネタバレぽいが)今までの人生を過ごしてきて、さまざまな選択肢があり、自分の意思で決定してきたことが、実は自分より高知能の〈何か〉によって、操作されていたのなら?という問いが投げかけられる。
上位の知的階層が、自分の都合のいいように下位の知的階層を操作していた場合は、その下位の知的階層が自分の意思で考えて行動していたとしても、そこには自由意志ほ存在しない。全ては上位の知的階層が操作しているからだ。そして操作していたと思っていた上位の知的階層が、さらにその上の知的階層が操作していて、さらにさらにその上の知的階層が操作していて…、となると、最上の知的階層がいるとしたら、その者に万物が操作されていことになる。そうなると、主人公がいる銀河には自由意志というものは存在しない。
物語にこっそり自由意志の有無を投げかける
この物語は自由意志の有無だけがテーマではないが、この自由意志へのアプローチは面白い。 この物語では上位知的階層という生命体が宇宙にが存在するならば自由意志が存在しないことを描いた。しかし、われわれの現実(宇宙)には上位知的階層が存在していないので、もしくは観測していないから、自由意志が存在するという逆説的に自由意志の存在を認めるというものになっているのではないか?ただし、上位知的階層が身を潜めて我々を操作しているなら、自由意志なんて存在しないかも? という勝手な私の妄想的な感想を抱きまくった。
2021年オススメのSF
『三体』の最終巻の発売前に、最高クラスのSFに出会えたのは嬉しい。訳者のあとがきにカーカスレビューの「ときとして瞠目させられるSF冒険作品」という評価を紹介している。 読んでみるとたしかにそのとおりで、人知を超えた高度精神生命体との対峙はレムの『ソラリス』を思い起こされる。これが作者の長編デビュー作品とは思えないほど良いSF作品だった。本当オススメ。
『最終人類』サック・ジョーダン(著)中原尚哉(訳)ハヤカワ文庫SF