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都市が主役のSF『都市と都市』

『都市と都市』はチャイナ・ミエヴイルが数々の賞を受賞したSF小説。SF好きからしたらSFか?という議論になるだろうし、ミステリ好きからしたら少し物足りないバディ警察ものと思うかもしれない。わたしは読後に奇妙なSF(わたしはSFとしてます)という感想を持っています。

舞台はほぼ現代のバルカン半島にある架空の都市、べジェルとウル・コーマ。そのべジェルで若い女性の死体が発見され、べジェルの警察ボルル警部補が捜査を担当する。べジェルでの捜査から開始し、それからウル・コーマへの捜査、そして真相へ。よくあるプロットな気もします。ただし、この物語の楽しみ方は構成より、この2つの都市の設定やシステムにあると思います。

この2つの都市は隣接しているものの、一部〈クロスハッチ〉とよばれる共有地域がある。〈クロスハッチ〉部分は、べジェル市民、ウル・コーマ市民両方が生活し、道路も双方の市民が行き交っている。ただし、お互いの市民はもうひとつの市民を「認識しないように」生活している。お互いの市民は生まれてからもうひとつの市民を見ない教育をされて育ちます。道ですれちがっても、相手がいないようにふるまわないといけない。さらに、お互いの生活部分がモザイクのように噛み合わさっているものだから、突然相手側の都市だけになる場所ももちろん存在しているので、危うく越境してしまうこともある。故意に越境しなければ目をつむってくれるようだが、もし故意に相手の都市に踏み込んだ場合は、〈ブリーチ〉行為とみなし、警察組織ではなく、〈ブリーチ〉と呼ばれる人々に拘束され処罰される。

と、ざっくりこの『都市と都市』の2つの都市の設定を説明しました。主人公のボルル警部補この2つの都市の独特のルールのなかで殺人事件の捜査しなくてはなりません。捜査はまずべジェルから行い、そこには阿吽の呼吸で組んできた捜査官コルヴィという相棒がいます。さらに事件の解明のためにボルルはウル・コーマにむかわないといけません。そこでは、ウル・コーマの民警のダットという捜査官があてがわれます。ボルルはダット捜査官と最初はうまくいかないが、捜査がすすむごとに信頼し合って王道のバディもののパターンに入るわけです。物語はそのパターンをうまく使いながら、この2つの都市でおきた事件を解決へと導かれます。

ここまでの紹介しても、いろいろな作品を読んできた熟練の読み手からしたら、食指が動かないかもしれない。制約がありながらの事件解決、バディもの、まあまあこれくらいのパターンはあるでしょ、と思う人もいるでしょう。そこで、事件の捜査の途中で浮かび上がってくる第3の都市オルツィニーの存在。この物語において、とある人間は都市伝説だどいい、別の人間はそのオルツィニーという都市の存在を信じて疑わない。主人公は事件を捜査しながら、存在の有無が不明の都市に振り回されていきます。さらに、このオルツィニーという都市が事件に関わっていることで、さらに謎が深まってくる。さて、ここまでの紹介でも、読みたいと思わないのならこの本をむいていません。

わたしはこの小説が好きなポイントが2つ。まずは、都市の設定。モザイクのように隣の都市が入り組んで入り込んでいて、おいそれとその境界をこえてはいけない。加えて、もうひとつの都市の市民を見てはいけないというルール。それが物語の後半に重要な点になるんですけどね。仮に運転するときも前対向車にもうひとつの都市の車が走っていたら、それを見ずに運転するということなので、運転の難易度が高くなるんです。このような世界を表現するのに緻密に情景描写がなされています。さらに、この設定のおかげで妄想がひろがります。「この都市に行ってみたい」「誰かこの設定でオープンワールドのゲーム作って欲しい」といったたぐいのですが。

2つ目は、初見ではよくわからない単語が飛び交う。〈ブリーチ〉〈クロスハッチ〉〈オルター〉〈トータル〉〈先駆時代〉など。読みすすめるとこの意味がわかるんですが、最初はなんのことやらですが、SF感が出てるところだと個人的に感じる。厨二病と呼ばれるかもしれないが…。

これはミステリじゃない!とか、SFじゃない!とかいう感想が出がちなひとはオススメではありません(笑)。わたしのように設定だけで妄想できる人と、最後の1行のために、このためにこの500ページと厚めの本を読んだんだ!ど満足できるひとにはオススメですよ。

(『都市と都市』(著)チャイナ・ミエヴイル(訳)日暮雅通 早川書房