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『疫病と世界史』と『国家はなぜ衰退するのか』を読んでポストコロナ渦の未来を想像してみた。(前編)

西暦2020年という年は人類の歴史において忘れられない年になった。

大人たちは仕事を在宅からのリモートワークをしいられ、子供たちは学校に行けず家で課題をこなす。エッセンシャルな職種の人間は感染の危険を感じながら出勤し、保育園に預けた子供はいつもより少ない人数で遊び親のお迎えを待っている。アーティストたちは人前で演奏する機会を失い、You Tubeで生演奏や過去のライブを配信し、客を入店させて営業することが困難になった飲食店はテイクアウトでしのいでいる。

これはまだ新しい世界のプロローグなのか? 東京オリンピックが一年後と浮かれいた2019年には想像もつかなかった世界になっている。以前の生活に戻れるのか?人類が新しい生き方を模索しないといけないのか?

仮に生活様式が変わった世界描いたとしたら、人々はほとんどの時間を家で過ごし、ドローンが道路の上空を飛びまくり荷物を運んでくる。道路の交通渋滞はなくなっが、ドローン渋滞が起こり、配送中のドローン同士の衝突がニュースになっている。子供たちが学校に行くのは、週に一度クラスの仲間と顔を合わせるためだけになり、授業のほとんどがオンラインで行われる。大人たちはリモートワークが基本になり、会議も営業もZOOMかGoogleミーツで行なって、会社にはたまにしか行かなくてよくなった。飲み会で親睦を深めることはなくなり、居酒屋や飲食店は半分くらいがデリバリーで生き残った。飲食の配達ではドローンだと遅いので、ウーバーイーツか、タクシー業界が生き残るためにデリバリー業界に参入し、どちらかが自宅に届けてくれる。多くの高齢者は病院への定期受診には検査の日しか受診しなくなり、体調が変わらなければ家にいながらオンラインで診察をうけて、処方せんはデータで近所の薬局に送ってくれているので、歩いてとりにいくかドローンで運んでくれる。 そんなディストピアな未来になるのか?と日々夢想している。

日本を含め世界でこの感染症に苦しんでいる人々がたくさんいる中で、今言うのは不謹慎であるかもしれないが、このコロナウイルス渦が終息したあとの世界に興味がある。だから、終息前に多くの思考実験の結果を知りたいし、終息後の生活がどのようになっていても対応できる心積もりをしたい。

ビスマルク宰相の言葉を借りると「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ということで、まとめて読んだ2冊『疫病と世界史』、『国家はなぜ衰退するのか?』をもとにコロナウイルス渦の世界について想像してみた。

人類は先史以来おそらくなんらかの感染症に罹患してきた。有史になり記録が正確ではないが、感染の症状が記されている。なんの微生生物に罹患していたのかが推測れており、幾度かペスト渦にみまわれた中世には科学者から宗教家までが、微生生物と闘ってきた歴史が書物として残っている。近代ではスペイン風邪が記憶にあたらしく、当時にの様子がさまざまの文書媒体で残っている。人類が罹患してきた歴史とそれがどのように歴史に関わってかたかを書いたマクニールの『疫病と世界史』。

わたしが本書で得た知見としては次のようなことがいえる。感染症が蔓延した時点では、当たり前のことだか未知のものであることが多い。もちろん免疫がなく、ある一定数は死にいたる。とくに、科学や医学、公衆衛生の発達が乏しい近代以前は、人口集団に致命的な(集落ごとの壊滅など)影響をあたえてきた。有名な例として、スペインのコルテスなどによる中南米の侵略に天然痘の持ち込み、免疫を持っていない現地住人たちをまたたくまに死にいたらせスペイン人の侵略を容易にし、アステカやインカ文明などを滅亡させた。

そして収奪的な政治体制の社会では、収奪される者(人民や農奴など)が感染症により人口が減っていくと、収奪する権力が弱り、国家や文明が衰退する原因になってきたということ。たとえば、本書ではペロポネソス同盟に打勝てなかったアテナイをあげている。

紀元前四三〇年前から四二九年にかけてアテナイに起こった事態が如実に教えてくれる。トゥキュディデスが詳細に病状を描写しているので名高いこの疫病は、アテナイ市民の士気を阻喪させ、アテナイ陸軍の四分の一を斃死させたが、今日存在する感染症のどれにもぴったり一致しない。トゥキュディデスの言を信じるなら、この病気はまったく新しいもので、アテナイ市を始め「最も人口の多い町々」だけを襲い、現れた時と同じように神秘的に消えていった。

一時的な感染症が蔓延するだけで、国力が弱り底力がある国でも、歴史の舞台から消えていったのではないかと本書で推察している。

さらに、本書では都市部においては、宿主同士の密度がたかいため、感染症が流行しやすく、その後、田舎部への流行へと移りやすい例を本書であげている。

現代に照らし合わせた場合、すべての感染症に適応できるかは不透明な気がする。実際、現代のような明日にでも海外へ出発できていて、既存の治療薬が有効である時代ではあてはまらないような気もする。2009年のH1N1型のインフルエンザのパンデミック時のようにタイムラグなく世界中のいたるところに蔓延していったが、それでも、抗インフルエンザ薬がすでにあり医療体制が整っている国では、1916年のスペイン風邪のようにはならなかった。今回のコロナウイルス渦にあてはめるならば、既存の治療薬はあっても、一部の国では、深刻な被害を受けている国々もあるが、日本、韓国、台湾などの国はそれらと比較するとうまくコントロールできてるようにもみえる。そして、本書で言及している都市部から田舎部への伝播については、今回のコロナウィルス渦のイタリアにあてまはめると都市部の若者が地元の田舎に帰省して、高齢者を中心に蔓延していったという記事があった(リンク先 WIRED)。その真意は疫学研究の報告が待たれるところか。

日本については都市部(東京、大阪、札幌等)を中心に流行しているが、緊急事態宣言を解除後、今後それらの地域の田舎部に流行が移るかどうか?ということは本書のように示しているようになるかはまだ分からないと思う。(後編へ)