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本、映画、ドラマをとりとめなく語るブログ

やっと新刊が出たよ。テッド・チャン『息吹』の感想

発売前から読みたいという作家はほとんどいない。たいていはSNSやアマゾンのお知らせで「あーこの本出ていたんだ。読もうか」くらいの程度で読む。ただし、テッド・チャンだけは別でまだ次がでないかと待ち望んでいた。前回の短編集『あなたの人生の物語』から幾年かたってるわけで、もちろん待っていた人は私だけででなはいだろう。そして待ち望んだ最新の短編集『息吹』は最高の一冊だったのだ。

商人と錬金術師の門

〈門〉を一方からくぐると過去へ、反対からくぐると未来へいける〈門〉を使ったタイムトラベルの話。 ドラえもんのポケットからでてきそうな道具かよと思った(笑)。このようなタイムトラベルもののSFでよくあるのは、過去に行って自分や他人の行動を修正し、その後の未来を変えるというもの。しかし、この物語は未来が変わらないお話。アラビアンナイト風の語りもあいまって展開が想像できない素晴らしい物語であった。

息吹

人類ではない知的生命体が、自らの世界を探求する物語。 この世界の生命体は円筒状アルミニウムの肺に空気を入れて、無くなったら胸郭から取り出し、満杯にした肺と交換し生きている。事故などがない限り、永遠に生き続けることができる。そして、肺に空気を入れるためにある給気所はこの世界では社交所になっているという不思議な世界設定。 人類ではないものが主人公というSFといえば、すぐに思い出すのが酉島伝法『皆勤の徒』。他に似たSFはすぐには思い出せない。 人類ではない主人公の世界設定なのに頭の中でなぜかイメージできてしまう。さらに、この設定をつくりあげるのもさることながら、人類ではないものがこの世界を理解しようと自分の頭を解体(?)していく描写がすごい。 それだけでなく、主人公がこの世界の疑問に気づき、世界を探求していき、自分達はどうなってしまうのか?というテーマが、深く考えさせられる。

予期される未来

数ページの短編ながら、自由意志について取り上げたお話。 この短編を読んで思い出したのは脳による意思決定のはなし、意識的な意思決定の前に脳の電気信号が立ち上がるという説。こちらを元ネタにしたのかな?作者もあとがきにも自由意志について語ってるのでテーマのひとつなんだろうな。

ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル

デジタル動物のAI「ディジエント」をで飼育し育てていく物語。 最初は赤子に近いディジエントも、どんどんと成長し人間に近い存在になり、しまいには「法人」として扱えるかどうがの議論になってくる。 これと同時期に、以前ブログに書いた『答えのない世界にたちむかう哲学講座』を読んでいて、AIの法的責任について考えていたので結末がどうなるのか興味があった。さらに、今回の短編集のなかでは将来に起こりうる可能性があると思う。

デイシー式全自動ナニー

ロボット子育て機と愛着と子育ての物語。

偽りのない事実、偽りのない気持ち

すべてがデジタル記録できる世の中はどうなるのか? ノスタルジックな思い出は些細な出来事を自分が脚色したものであった。ケンカ別れの理由が相手のひどい罵りだったと思っていたものが、実は自分が罵っていた。自分のデジタル記録を検証すると、自分の記憶とは異なっていたとき、人間は何を感じるのか?を物語にしたもの。 脳科学的には人の脳は記憶を改ざんするものらしいが、テクノロジーの進化で全ての行動がライフログとして残せた場合どうなるか?というテーマを扱ってる。これをわかりやすくするため、この短編のなかにイギリス政府がアフリカの村に介入した例を持ち出し物語をひとつ入れ込んでいる。その物語では口承文化から読み書き文化への移行したときの人間の変化を表現している。そのうえで、デジタル記録への移行についての人間の変化語るという構成。ここまでくるとSF小説の体裁を持った論文なんじゃないかと思う。

大いなる沈黙

フェルミパラドックスをオウムと人間に落とし込んだ短編。ヴォネガット風のアイロニーを感じた。語り口が違うので、印象もそれとは異なりますが。良い短編。

オムファロス

よくわからなくて「オムファロス」というのをググった(笑)。ギリシャ語でへそを意味するらしい。アダムとイブがへその緒があった場合、それは母親から生まれたもので、神が創造したものではなくなる。一方へそが無かった場合は、完璧なかたちで作られたことではなくなってしまう、という論争が過去にあったらしい。ほうほう。詳しくはWikipedia参照。 それを題材に、この物語ではいままでの信仰が揺らぐ話を描いてるわけですね。

不安は自由のめまい

人生の岐路で大事な選択を行う。これまで選んできた道とは異なる道を選んだ自分はどうなっているか?それを確かめることができる道具がある。その道具は、別の人生を歩んだもうひとりの自分とコンタクトが取れるというもの。つまり、並行世界の自分とコンタクトを取れる。またまたドラえもん的な道具の話でした(笑)。人生の選択はいままで培ってきた経験や性格によってその選択をしているのだから、もしあの時に別の道へ進んだとしても、その選択による結果が極端な結果(ものすごい幸福か不幸)になることは少ないというのがこの物語で描かれていて、それがテッドチャンの解釈なのかもしれない。性格の良い人間はどの選択をしても、良い行いをしているだろうし、悪党はどの選択をしても悪党な行いをしているのではないか?ただし、選択前の自分より良いと思う選択をすれば前進できるんじゃないか?ということもこの物語で述べていた。ちょっとディストピアなんだけど、希望が描かれていて素敵でした。

感想

センスオブワンダーな要素もふんだんにちりばめられている短編集なのだが、個人的にはどの短編も、家族、愛する人、友人、そばにいてくれる理解者など、「人と人」または「人と人との感情をもつ者」の繋がりを感じた。だからなのか、読後に考えさせられるものと一緒に暖かさを感じた短編が多かった。テッド・チャンは現時点でSF短編の書き手では最右翼に立っているのは間違いない。あまりSFを読まないという人には、古典SFよりも即座にこちらをオススメしたい。

『息吹』テッド・チャン(著)大森望(訳)早川書房