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『誓願』はディストピア小説にとどまらない

侍女の物語』の続編『誓願

マーガレット•アトウッド『誓願』は同作家『侍女の物語』の続編。舞台は前作から15年後の世界。単に「フェミニズム文学」と言ってしまうと、そうなんだけど、その先入観で読みすすめてしまうと思うので、もっとエンタメ的な視点で読む方が面白い。いや、作者も後半の怒涛のスリリングな展開はあえてエンタメ的に書いてると思う。ノーベル文学賞候補だからと思って小難しい小説ではないのだ!(色々と奥深いけど)みんな大好きディストピア小説なのでエンタメとして楽しめる作品である。

三人の語り手

この物語はそれぞれ立場の違う三人の女性で語られる。リディア小母:ギリアデ共和国の女性社会の長。アグネス:ギリアデ共和国に住む司令官の養女。デイジー:カナダに住む養父母に育てられる。のちにギリアデに潜入する。

特にリディア小母の語りは手稿という形になっていて、他のふたりの語り口調とは異なっている。当初はリディア小母は過去のことを振り返り手稿に綴っている語りだが、他のふたりの時間の経過とともに、3人の時間軸が重なってくる。それが相まって物語に緊張が感じられる。そこから物語が急展開をしていく。

前作『侍女の物語』を読まなくても面白い

前作『侍女の物語』から続く物語だが、『誓願』を先に読んでも楽しめる。この物語の鍵を握るリディア小母による語りには、キリスト教原理主義国家「ギリアデ」がくわしく説明されている。ギリアデ内の女性の地位、子どもを産むための道具として扱わられる〈侍女〉、女性階級社会のトップの〈小母〉たちなどの女性の内情であったり、罪を犯したものへの〈集団措置〉と呼ばれる公開処刑の描写などがある。このほかに舞台となるギリアデとその他の国の地政学的な関わりも描かれているため物語に入りやすい。

1984』と『誓願

随所にジョージ・オーウェル1984』の雰囲気がある。巻末の解説でもアトウッドによる『1984』のオマージュの部分を説明している。『1984』は行動や思想を監視し、個人を徹底して管理している社会。一方『誓願』の舞台の『ギリアデ』は環境破壊などにより著しく出世率が低下した世界で、いかに子孫を繋ぐかと考えた結果が、女性を管理下におき、識字力を奪い文化的なことを削ぎ取って、子どもを産むだけの存在にしたてたシステムの社会。どちらも監視社会なのに細部が異なっているので、『1984』と『誓願』を比較してみるのも面白い。

誓願」の意味

誓願」を辞書で調べてみると〈仏語。仏菩薩が、一切の衆生の苦しみを救おうと願って、必ずこれを成しとげようと誓うこと。〉とある。物語を通読するとこの内容がしっくりくる。さらに『誓願』の原題『the testaments』意味を調べると〈遺言、遺書、告白〉などと出てくる。たしかにこれらの意味からこの物語を想像できないかもしれない。『誓願』というピッタリな題名にしたのはスゴイ。

『地下鉄道』と『誓願

誓願』の最終章で、奴隷の逃亡を助ける〈地下鉄道〉の組織に言及がある。アトウッドが〈地下鉄道〉の組織における逃亡と『誓願』の物語の中の逃亡を比較したかったのは不明だが、個人的に同じ自由を求める小説でコルソン•ホワットヘッド『地下鉄道』とアトウッド『誓願』について比較すると、 『地下鉄道』は主人公自身が自分の自由を得るための逃亡なのに対し、『誓願』は主人公たちは自由を得るための願いを託された逃亡である。自由を得るための願いとは、リディア小母がギリアデ国内で苦しむ女性たちの苦しみを救おうと願って、必ず成し遂げることをまさに誓願された逃亡の物語なんだと思う。自由を手にするテーマで『地下鉄道』と『誓願』を比較して読むのも面白い。

誓願早川書房(著)マーガレット•アトウッド (訳)鴻巣友季子