子どもは親の鏡 とは本当言い得て妙。 この本の冒頭はこの題名の詩が書かれています。
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ 愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる 分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ 親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る 子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ 守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ 和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
子供のころから『子どもは親の鏡』という言葉を知っていた気がする。 それもそのはず。著者ドロシー•ロー•ノルト博士がこの詩を書いたのが1954年。日本だと戦後10年も経っていないころ。それから世界中をめぐり、時代に合わせて本人よって書き加えられたりもして、この詩は現在にいたっている。そのため、どこかでこの言葉聞いてきたはず。
『子どもは親の鏡』という言葉は聞いたことがあっても、それが詩の題名だということも知らず、だれが書いたのか分からず、大人になり、親になって、『子どもが育つ魔法の言葉』という本をたまたま手に取ってみたら、著者が『子どもは親の鏡』を作詞した方だった。感慨深い。
この本は『子どもは親の鏡』の詩ではじまり、詩の一行に応じた著者の説明という構成を成している。
たとえば、″広い心で接すれば、キレる子にはならない″という行がこの詩にある。なぜ広い心で接すれば、キレる子にはならないのかをエピソードを交えて、その理由を教えてくれる。
他にも、この本では、いろいろ感心すべき箇所が以下のようにあり、
子どもの存在があまりにも当たり前のものになり、なんとも思わなくなってしまうのです。わたしたちは、毎日、子どもを学校に送り出し、ご飯をたべさせ、身の周りの世話をしています。けれど、本当に子どものことを見つめ、分かっているかといえば、さて 、どうでしょうか。
なんて言われると、はたと感じる。
子供の成長は早くて、親も日常に忙殺されると、気づいたら、良くも悪くも子供のことがわかっているかどうか、は疑問を感じることもたしか。
個人的なこの本の使い方は、子供に強く怒ってしまったり、上手に子供へ伝えてることができないときに、冒頭の詩を読んで冷静になってから、子供に接するようにしている。我が家にとって良い実用書なのです。
著)ドロシー•ロー•ノルト レイチャル•ハリス 訳)石井 千春 PHP研究所